― 第一章 ―



 気持ちのいい風の吹く広々とした空の中を、鳥のように自在に飛んでいた。

なにものにも縛られることなく、ただひたすらに自由に飛んでいた。

 その空では僕はどこへでも行けた。そう、どこへだって行けたんだ。

あの空の向こうへも……あの地平線の彼方へさえも……。



 それが、僕の思いだせるかぎりの、もっとも古い記憶だった。

そして、その記憶の中での情景は、そのままこの世界での僕の名前となった。

 僕の名はアスカ。飛ぶ鳥と書いてアスカ。

僕は、灰羽と呼ばれる、灰色の羽と黄金色の光輪をもつ有翼人の一人だった。

 天使のようで、天使ではない、そんな中途半端な存在。

グリと呼ばれる、壁に囲まれた街。そんな街の、とある灰羽の巣で、僕は生まれた。

僕が最初にこの街に来た時、いわゆる年少組と呼ばれる年齢だった。

自分で言うのもなんだけど、街にやって来たばかりの頃の僕は、えらく精神的に不安定だった。

考えても見て欲しい。年端も行かない子供が、誰一人として自分のことを知らない世界に

突然たった一人で放り出されるんだ。

それがどれほど不安なことか、そしてどれほど心細いことか、

ほんの少しでも想像力をたくましくすれば、誰にだってすぐにわかってもらえると思う。

おまけに背中からは、激痛と共になんの意味も成さない不気味な灰色の羽が生えてくるし、

頭上には光輪と称される用途不明の変なワッカまでつけられる。

これをおかしいと思わない方がどうかしている。

少なくとも、その時の僕はそう思った。

でも、周囲の灰羽たちはさも当たり前のことのように、それを受け入れていたんだ。

まったくもって理解しがたい。僕にはそれが納得できなかった。

 すべてのことが不自然に思えた。

 すべてのことが不条理に思えた。

なぜ僕がこんな目に逢わなきゃいけないんだろうと、何度も思った。

できることなら、どこか本来僕の収まるべき場所へと還りたいと願った。

 そんなものがあるのかどうかさえ、ちっぽけな僕にはわからなかったのだけれども……。



 こんな性格だったから、僕はなかなか他の灰羽たちにも馴染めなかった。

誰も僕の気持ちを理解してはくれなかったし、僕もまた誰かの心を理解しようとは思わなかった。

厄介事は嫌いだった。これ以上、悩みの種を増やしたくはなかった。

それで自然と、一人で行動する事が多くなった。一人ならいつでも気楽でいられた。



 そんな中にあってただ一人、しつこく僕の世話を焼きたがる灰羽の少女がいた。

ナナセ、そういう名前の灰羽だった。少女といっても、僕よりだいぶ年上だ。

確かその頃で灰羽歴7年くらいだった思う。僕の巣でも、最年長の灰羽だった。

「大人」と呼べる灰羽の姿は僕も見たことがないが、だからなのか、

彼女のことも少女と呼ぶより他にない。

彼女の名が、どんな夢に由来するものなのか、訊く機会はついぞ訪れなかったけれど、

僕の繭を見つけたのはナナセであり、同時に当然のように名付けの親でもあった。

彼女は面倒見がよく優しかったから、僕も多少は親近感を抱いていた。

仲間たちへの愛情も分け隔てなくそそがれたものだったし、

そんな彼女の事を僕も嫌いじゃなかったのだけれど、少々うっとうしく感じていたのも事実だった。

今にして思えば、少しばかり時期の早い(あるいは遅い)反抗期だったのかもしれない。

 ナナセへの反抗心も手伝って、その頃の僕は自分の巣にいつかず、

一人でずいぶんと街の中を徘徊して周った。

グリはそれほど大きな街じゃないけど(比較対象が無いので変な話だが)、

それでも一人の灰羽の少年にとっては十分過ぎるほどに広大な空間だった。

 そう、記憶を失った僕にとって、それは名実ともに世界の全てだったんだ。

その日も一人で朝食を済ませると朝早くから巣を抜け出していた。

例によって、特にこれといった目的地があったわけじゃない。

ただ、いつもどおり一人になれる場所を探していただけだった。

でも、この街にはもうそんな場所はほとんどなくなりかけていた。

街中ほとんどすべての場所に足を運んでしまっていたし、元より人が多い場所へは

あまり行きたくなかった。それで自然と、僕の足は誰も寄り付かないであろう、

一度も訪れたことのない西の森の方へ向かっていた。



「いい、アスカ。街の中だったらどこへいってもかまわない。

だけど西の森へだけは何があっても絶対に行ってはいけないよ」

 森へ向かう道の途中で、ふいにナナセの言葉が僕の脳裏をよぎった。

常々聞かされていたことだけに、僕はほんの少しためらいを感じた。

それでも、すぐにその思いを、雑念のように頭の中から追い払った。

(どうせ他に行くところもないんだ。もうどうにでもなれ。行ける所まで行ってやろう)

そんなやぶれかぶれの感情が、僕の心を支配した。

 心を決めると、僕は森の中へと踏み込んだ。



 西の森には様々な樹木が青々と生い茂っており、一種独特な静謐さをかもしだしていた。

ざわついた街の喧騒も、ここまでは届いてこない。

なるほど、どうしてこの地へ足を踏み込むことが禁忌とされてきたのか、

僕にはわかった気がした。

そこは人を寄せ付けぬ不思議な空気に包まれていたからだ。

 そんなことを考えながら、森の奥へ奥へと進んでいるうちに、

生い茂る草木はどんどん深くなっていった。

ごろごろした石ころや木の根に足を取られては、何度もつまづきそうになる。

僕は、そのたびに舌打ちをし、悪態をついた。

そうやって何度目かにつまづいた時だった。

遠くの空で、小さな煙を噴き上げながら、一本の軌跡が天へ延びて行く光景を目撃した。

 それは奇妙な光景だった。

 そして不思議に人を引きつける魅力をもつ光景だった。

 あの飛び方は、どう考えても鳥の類とは思えない。

有無を言わさず、僕は駆け出していた。そのなにかが飛んできた場所へと。

そこになにがあるのか? 僕の中の未知なる物への探究心が鎌首をもたげていた。

あるいは、その「なにか」が、僕に憂鬱な日常とはまったく違った世界を

見せてくれるかも知れない、そんな確信めいた予感がしていたのかもしれない。

 僕は駈けた。ひたすらに駈けた。すべてを忘れて駈け抜けた。

あたかも自分が真理の探究者にでもなったような気分で。

そうして気がついた時、僕は自分の居場所を見失っていた。



 それからどれくらいさまよったのだろうか。

もうとっくに森を抜けてもいいくらいの距離を歩いたはずなのに、

一向に森からは抜け出せそうになかった。

ひょっとしたら、何度も同じ場所をグルグルと巡っていたのかもしれない。

頼みの綱だった日も沈み、あたりはすっかり暗くなろうとしていた。

昼の時間が空の向こうに追いやられ、夜の時間が世界を覆っていった。

 僕は今さらながら後悔した。ナナセの言いつけを守らなかった自分のことを

愚かしく思ったが、もう遅かった。自分に怒りをぶつけたところで、もうどうにもならない。

それよりもこの状況を打開するのが先決だと思った。しかし、いい知恵は浮かばない。

 僕の心を嘲笑うかのように、森の中は何とも言えない奇妙な気配に満ち溢れていった。

夜の森の見せる顔は、昼間の物とはまったくの異質だった。

暗がりの中から、なにか得体の知れないものが飛び出すのではないか、

そんな不安に駆られてしょうがなかった。

怖かった。恐ろしかった。そして、それ以上に寂しかった。

あれほどまでに望んでいたはずの孤独が、いざ自分に訪れてみると耐えがたいほど嫌だった。

たとえようのないない不安が、僕の全身を包んだ。

 ひょっとしたら、ナナセが僕のことを捜しに来てくれるかも知れない、

そんなかすかな希望が、僕の脳裏をよぎることもあった。

僕がどこか遠くへいくと、いつも心配した様子でナナセが捜しにきてくれたからだ。

そして僕のことを見つけると、他にはなにも言わず、ただ静かにこう言うんだ。

「さぁ、一緒に帰ろうよ」

 けれど、所詮それは淡い希望だった。彼女も西の森へまでは来てくれないだろう。

僕は彼女との約束を破ったのだから。歩きつかれた僕は、仰向けに地面に倒れこみ、

自然と夜空を見上げていた。いつもなら僕の心を慰めてくれる夜空の星も、

この時ばかりはなんの慰めにもならなかった。

星を見上げたところで、この寂しさが薄れることはない。

 そんな不安の中、空を仰ぐのを止めたとき、僕は地上にも小さな星があるのを見つけた。

空に無数に浮かぶ光点に比べれば、それは本当にささやかなもので、注意していなかったら、

気がつくこともなかっただろう。だがしかし、それは星ではなかった。






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