Feeling fine




その日も、街は何もかもが順調に回り続けていた。
たった一人、僕を残して。

僕は幼い頃、森の奥深くにある井戸の中に投げ捨てられていた。
そこは冷たく暗い死の世界だった。
真っ暗でひたすら無音。
一日に三度なる街の時計塔の鐘も聴こえなくて、時間の感覚も狂いだした。
ただ冷たくて、恐ろしくて、泣いていた。
あ、いや悲しくて泣いていたのかな。
なんだか大事なことだけが思い出せない。

その後僕は通りかかった連盟員に見つけられ、一命を取り留めた。
そうして、街で子供を欲していたとある夫婦に引き取られることになった。
彼らは僕に優しかった。
僕の眼の色は青く、顔かたちだって彼らとは似ていなかったが、僕を本当の子のように扱ってくれた。
そうして実の母の記憶や井戸の中で感じた恐怖は薄れていった。
ただ、井戸の生活のせいか、僕は暗闇をひどく恐れるようになり、電気を消して眠ることすら出来なかった。
その後、二人の間に女の子が生まれた。
僕もその事をとても嬉しく思い、生まれた義妹に優しくしてあげよう、と思った。
両親は生まれた義妹をとてもかわいがった。
次第に、両親の愛情は僕から、妹へと移り始めた。
僕も最初残念に思っていたが、それでも両親は僕のことを愛してくれていると思っていたので、不安はなかった。
僕も両親同様に義妹をかわいがり、彼女が成長した後はいつも一緒に遊ぶようになった。

義妹が五歳になったころのことだ。
当時僕は絵を描くのが好きだった。
以前、僕が描いた絵を見て、両親や義妹が不思議そうな顔をしていたことがあり、そのうちに僕の眼が見る色が人と違っているのだ、と分かった。
それでも、当時はその差異がかえって面白く、色々な絵を描いて見せた。
両親がほめてくれるのが嬉しかったのだ。
ある日、両親が出かけていて家には僕と義妹だけがいた。
僕が居間で紙に絵を描いていると、義妹がふざけて僕に布団をかぶせて来た。
とたんに、僕の頭は井戸の底で感じた恐怖と孤独に包まれた。
心臓はばくばくと鼓動を早め吐き気に襲われる。
暴れる僕をいつものようにじゃれていると思ったのか、義妹は力をこめ、僕にかぶせた布団を押さえつける。
僕は恐ろしさのあまり、力いっぱい妹を突き飛ばした。
義妹は壁に頭をぶつけ大声で泣き出した。
わざとではなかった。
だが、丁度そのとき帰ってきた父親は僕を見るなりいきなり殴りつけた。
僕はそのときの父親の表情が恐ろしく、泣くことすら出来なかった。
次第に僕と家族の間に何か違和感めいたものを感じ始めた。
段々と、両親の僕に対する態度も変化し始め、それまで気にならなかった僕の青い眼や色の感覚が、僕と家族の間にある溝を象徴するように思えた。
そして、決定的な事件がおきた。
父親に殴られた日以降、妹は僕をこわがるようになったし、家に居づらくなったので外で遊ぶようになった。
人と話すのは苦手だったから友達は居なかったが、それでも街の絵を描いたり、色々楽しみを見つけることは出来た。
ある雨の日僕は街の路地裏で子犬を見つけた。
子犬はどうも捨てられている様で、その体と同じく小さなダンボールの中で雨にぬれた体を震わせていた。
僕は寂しそうなその犬を見てどうしても放っておくことが出来なかった。
その時僕は両親に犬を飼うことを進言できるような立場ではなかったから、僕は自分の食事を減らしてその犬へ与えるようになった。
犬は僕になついた。
家の中ですら孤独になってしまった僕は、その犬に自分を重ねていたのかもしれない。
食事を分け合うことで、その犬と色んなものを分け合っているような気になった。
数日後、いつもの場所に犬はいなかった。
不安な気持で僕は街中を探し回った。
歩きつかれた頃、悲しそうな鳴き声が聴こえ、その方向へ走った。
悲しそうな鳴き声の理由を知る。角を曲がると数人の子供たちが犬に石をぶつけて遊んでいたのだ。
瞬間、僕の中で押さえつけられていたものが爆発するのを感じた。
それまで、感じたことのない暴力的な衝動に駆られ走り出していた。
気がついたとき、僕は大人たちに押さえつけられていた。
まわりでは数名の子供たちが泣いている。
見れば皆鼻血を流したり、体中に痣を作ったりしている。
自分はと言えば同様に怪我をしている子供の上に馬乗りになりながら、大人たちに羽交い絞めにされていた。
自分も鼻血を流していたが、痛みは感じていなかった。
僕は突然彼らに殴りかかり、相手が泣いて謝るのも聴かず、殴りつづけ笑いながらその青い眼を煌煌と輝かせていたらしい。
夜になって麻痺していた痛みが目覚め、僕は眠れないでいると、両親の言い争う声が聞こえてきた。
どうやら居間でなにか話をしているらしかった。

だからあんな得体の知れない子供を引き取るべきじゃあなかったんだ。
しかたないじゃない、あの時は子供ができないかと思ったんだから。
あの恐ろしい形相をみたか、青い眼が不気味にひかっていた。

一つ一つの言葉を聴きながら、僕は自分がこの街やこの家にとって、必要とされていないのだと悟った。
自分が何のために生きているのかわからない。
心が暗闇に包まれる。
また、あの暗い井戸のそこに戻されたような、そんな気がした。

その後僕は家の中では空気のように過ごした。
両親や妹も僕のことを避けていたし、また近所の人間も僕のことを恐れるようになったので、次第に僕には言葉を喋る機会すらなくなっていった。
唯部屋にこもり、ラジオから流れる音楽を聴きながら絵を描き続けた。
真っ青な空の絵。
かすかにのこる本当の母の記憶。
二人で青い空を見上げていた。
母は煙草のにおいがしていた。
すがるものがなくなって、一度は忘れかけていた母の記憶にすがりだした自分が酷く情けなく思えた。
或る時ラジオを聴いていると流れている曲とは何か別の声のようなものが混じっていることがあった。
最初自分がついに幻聴を聞き出したかと思い恐ろしくなった。
だけどそれは確かに聴こえている。
常に耳を凝らしていると、何かを必死に訴えているようであった。
「誰か、聴こえていたら返事をして。」
良くは聞き取れないが確かにそういっている。
「もしもし、聴こえてますよ。」
恐る恐る返事をすると、その声はとても嬉しそうに
「良かった。」
と答えた。

彼女の話では自分が一体誰で、何処に居るのかも分からないと言っていた。
ただ、どういう原理か、ラジオ越しに人の声だけが聴けるのだという。
「久しぶりに人と話せたよ」
そう嬉しそうに言った。
今絵を描いている、と言うと彼女は、どんな絵か、と聴いてきた。
僕は青い空の絵だと言った。
「きっと素敵なんでしょうね。私もこの街の青い空が好きだったような気がするよ。」
彼女は楽しそうに答えた。
何故かその声に僕は親しさをおぼえ、色々な話をした。
そうして僕は自分が何のために生きているのか分からない、この街にいらない人間なのだと言うと、優しい声で、「いらない人間なんて居ないよ」と答えた。
本当に簡単な言葉、ただ一言、それだけだった。
なのに僕の眼からは涙があふれていた。
そんな簡単なことを他人から言われる、ということがそれほど僕の心を締め付けるとは思わなかった。
少しして声は途絶え、ラジオから聴こえてくるのは音楽だけになった。
その後はラジオを聴き続けていても声が呼びかけてくることはなかった。

数年がたち、働くことが出来る年齢になった僕は、家をでて街の中心から外れた工業区の煙草屋で住み込みで働き始めた。
その頃家族とは殆ど会うこともなくなって、街でたまに見かけても互いに気付かない振りをするようになっていた。
相変わらず人と話すのは苦手だったが、それでも煙草を売るくらいのことは出来た。
ただ、時々色弱であることで困ったことがあった。
「その緑色の箱の煙草」などと言われても、僕には緑と青の区別がつかないのである。
そのことが原因で仕事中に叱られることがあったりして益々人と話すのが苦手になった。
まともな人間と付き合えなくなって、孤独をごまかしたくて、工場区の不良連中とつるんで喧嘩や酒に明け暮れたりもした。人を殴ると気分がスッとしたがその後何倍もの後悔が僕を襲うのであった。
絵はもう描かなくなっていた。
だけど、一緒につるんでいた彼らですら十代の後半にもなると若さゆえの衝動を失い、街や家族の為にまっとうに歩き始める。
ろくに人と話の出来ない僕はまたひとりになった。
何故子供の頃、ラジオの声と話したとき、あんなに素直に自分のことを話せたのか不思議だった。
そうしてまたあの声と話がしたい、と思い小さめのラジオを持ち歩くようになった。
何年かそんな状況が続いた。
或る日の朝、数年前からとまっていた筈の時計塔がけたたましい鐘の音を鳴らしだした。
どういうわけかなかなか鳴り止まず、おかげで休みの日の眠りを妨げられた。
服を着替えて一階に下りると店主が慌てて僕に詰め寄った。
どうやら前日に僕の家族の家が火事になったらしかった。
両親は死に、義妹は軽い火傷で病院にいるらしい。
最初、急な事態にうまく自体が飲み込めなかった。
ふと、それまでけたたましくなっていた鐘の音が止んだ。
とたんに不安な気持に襲われた。
なかなか気持の整理がつかず、病院に向かったときは夕方で、大雨になっていた。
病院の白いかべはところどころ黒ずみ、ひび割れていて僕の不安な気持を増徴させるようだった。
病室を確認し中を覗き込む。
数人の病人がいる部屋の中、窓際にあるベッドの上で腕に包帯を巻いている少女が居た。
何年も会っていなかったから、最初分からなかったが義妹だった。
怪我自体はたいしたことはないようだったが、ガタガタと肩を震わせていた。
そうだった。両親は死んだ。
肉親を失った少女は不安で肩を震わせているのだ。
すぐに駆け寄ってその肩を支えてやりたい衝動に駆られる。
だけど、出来ない。
また、子供の頃のように怯えられ、拒絶されるのが怖い。
それに、いまさらどんな顔をして会えばいいのかだって分からない。
自分のような人間は彼女に会う資格などないのだろうと思った。
無事ならそれでいいじゃあないか、いまさら救われようとなんて思うなと自らを罵り帰ろうとした。
その時、ラジオから声がした
「あー…もしもし。」
あの時と同じ、優しい声だった。
僕は聴こえている、と答える。
「今日も、悲しい声をしているんだね。私に、話してくれないかな。」
あの頃と同じ優しい声に僕は驚くほど自然に自分の胸のうちを話したのだった。
自分はやっぱり駄目で、人をたくさん傷つけてきた。きっと家族も人づてに僕のことを聞いていたのだろうと思う。僕のような無価値な人間はこの街に必要ない。義妹に会ったって彼女を苦しめるだけだ。と言った。

声は応える。
「私ね、あの後もラジオ越しに色んな人と話をした。古着屋さんの店員さんだったり、整備工のおじさんだったり。それでね、皆色々なことに悩むんだ。皆、微妙なバランスの足場に立っているんだよ。時々道を間違えてしまうかもしれないけど、生きている限りやり直すことはできるし、無価値な人間なんてこの街には誰一人だっていやしないんだ。」
それまでと違って興奮した大声で僕の耳はキィィンと鳴った。
だけど、やっぱりその響きは優しく僕の頬を涙が伝っていた。
直後、けたたましい時計塔の鐘の音が街中に鳴り響く。
「…まったく、うるさいなあ。」
「え?何?私何か間違ったこと言った?」
あまりにとぼけた声に今度はつい笑ってしまう。
「ああ、いや鐘の音。」
「ふーん。私には聴こえないや。」
どうやら声には鐘の音は聞こえていないようだった。
「あー。また声が遠くなってきたよ。また当分会えないかもしれないけど、次はもう悲しそうな声はしていないでおくれよ。機会があったらさ、空の絵、見せてよ。」
そういうと声は消えた。

義妹と話をした。十数年ぶりで、最初はうまく話せなかったけどなるべく
素直に、あの声と話すような調子で十数年分の会話をした。怯えられ、拒絶されてもいいから、話をする必要があった。
義妹は意外にも僕のことを拒絶はしなかった。
反対に、泣きながら僕に何度も何度も謝り続けた。
義妹も両親も僕を避けてきたことをずっと後悔してきたらしい。
ただ、僕という人間が分からず怖かったのだという。
なんだ、ただ、それだけのことだったのか、と思う。
なにもかも声の言ったとおりだった。
両親は死んでしまったが、初めて僕らは本当の意味で家族になれたのだった。
夜が更け時間も遅いしもう帰るから、というと、義妹はもう絵は描いていないのか、と聴いてきた。
もうずっと描いていないと答える。
「私、兄さんの描く空の絵が好きだった。この街の空は緑色だけど、兄さんの描く空は不思議な青い色をしていて、なんだかそれがとても好きだったの。」


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